京都へ①(弧篷庵へ行く)

建築見学

京都の洛北エリア

大徳寺は、鎌倉時代末期に開創された臨済宗大徳寺派の
大本山で、室町時代には応仁の乱で荒廃しましたが、
「一休さん」こと一休宗純が復興。

京都の寺院の中でも有数の広さを誇る境内には22の
塔頭(たっちゅう)が並び、寺町の雰囲気があります。

大徳寺へ

大徳寺の境内は自由に立ち入ることが可能で、厳かな
雰囲気の中を散策することができます。

また、多くの塔頭や本坊は非公開で参詣は出来ませんが、
枯山水庭園で有名な「大仙院」、戦国大名・細川氏菩提寺の
「高桐院」、戦国大名・大友宗麟が建立した「瑞峯院」、
大徳寺で最も古い塔頭の「龍源院」の4カ所は常時拝観可
となっています。

↑大徳寺の広大な境内
毎年かどうかは分かりませんが、春や秋に特別公開が開催
される事があり、通常非公開な本坊や塔頭の貴重な美術品や
建造物、美しい庭を鑑賞することができます。

その、大徳寺の境内からは少し離れたところに今回の目的地
「弧篷庵」はあります。

弧篷庵へ

大徳寺塔頭の「弧篷庵(こほうあん)」は、約7年ぶりに
2022年5月24日~6月12日の20日間だけ特別公開となりました。

但し、自分が「弧篷庵」の特別公開あるというのは、5月の
末頃に恥ずかしながら、他の方のTwitterで知った次第で、
今回を逃すと次はいつ見られるか分からない事もあり、慌てて
日程調整をして行ってきた次第です。

「孤篷庵」は、小堀遠州が自ら設計した茶室「忘筌」で
多くの人々に知られているかと思います。

小堀遠州は、江戸初期の茶人・造園家、遠州流茶道の祖であり
豊臣秀吉、徳川家康・秀忠らに仕え、作事奉行を務め、
建築・造園に才能を現したとされています。

小堀遠州の美意識が投影された茶室や書院、庭園は、
建築を知るものであれば、どんなことがあっても一度は
訪れてみたい場所でもあります。

弧篷庵に到着し

弧篷庵に到着したのは午前10時15分前でした。
平日の午前中だからなのか、待っている人は10人程度で
丁度10時30分からの拝観ツアーに入れる事に。
受付で拝観料を志納し中へ進むも境内は撮影禁止です。
庫裏で荷物を預けて先ずは、本堂前庭の前にてしばし見学です。

↑弧篷庵の入り口(ここから内部は撮影禁止)

本堂前庭

一般的な枯山水庭園といえば、白い砂利を思い浮かぶが
ここは赤土の庭園。この地域である紫野の赤土だそうで
遠州が好んで使用したとの事。

垣根は3段構成となっており、前2段が波、後ろの
1段が水平線とし海を見立てた造りとなっていました。
いまは見ることが出来ませんが東にある船岡山を船に
見立てて遠望するという借景庭園になっています。
当時は周りに木が生い茂っていなく借景庭園となっていたそうです

茶室「忘筌」

そして、今回一番見たかった茶室「忘筌」
自分の想像以上に大きく少しびっくりしました。
この茶室は、西陽を避けて、上半分だけ明かり
障子を入れてありますが、庭園は見にくいです。

襖でカットしていない下側からの西日が縁に反射し
天井に当たり部屋を明るく照らすように計算されています。

その天井は「砂ずり天井」と言われる、貝を粉にした漆喰、
壁画も白に狩野探幽の水墨画となっており
完成したときは一面「白」だったらしい。

陽は手前の手水鉢の水面に反射し、かつては白かった天井に、
光が揺らめいたといいます。

ここは小堀遠州にとっては自分の隠居所ですから、
客人の都合は考慮しておらず、一番奥の点前座から観た
庭園が一番美しく見れる場所となっております。

↑忘筌席から見た庭園(絵はがきより)

直入軒

小堀遠州プライベートの書院「直入軒」

名前の由来は、早くに亡くなった遠州の長男の
法名からで、一超直入如来地からとられました。
修行を超越して如来の境地に至ると言う意味らしいです。

プライベートな空間と言っても、武者隠しがあり
小堀遠州が一大名で、周りから命が狙われていたのかとも
思わせるような感じであった。

そして、直入軒から見えるのが前庭です。
先ほどの忘筌の間からは全景は見えませんが、
ここに来て初めて全景を見ることができます。

遠州の故郷である琵琶湖を模した近江八景の風景が広がります。
忘筌の間からは想像もできない空間が見事でした。

↑書院内部(絵はがきより)

おわりに

約40分のガイドツアー方式の見学であったが
その時間は、あっという間に終わってしまった。

正直もう少し見ていたいと思う感じではあるが
案内してくれた方の説明があって視覚と聴覚同時に情報が
入っていくのでとても有意義な見学であったかと思います。

10数年前から訪れてみたかった場所に来れたのが
なによりもうれしく思いました。

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